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A君の話

 A君は僕の友人です。20代半ばで看護大学に学士編入して、今は看護師として働いています。年齢は僕と同じ40代。お調子者で多動なので、僕によく似ているかもしれません。先日、そのA君と飲んだ時に話してくれた話を紹介します。

 A君が看護大学に在学当時、同期の編入仲間にB君という学生がいました。年はA君よりも少し若く、朴訥(ぼくとつ)とした印象ながら、いきなり本質を突くような発言をするタイプだったそうです。そんなB君の家は割と裕福ながら小遣いは少なく、よくコンビニで缶ビールを買って川沿いに並んで座って飲むなど、お互いに刺激し合いながら仲良く過ごしていたようでした。
 看護の世界では、最近は徐々に男性が増えてきたとは言え、実際の担い手は圧倒的に女性が多いのが現状です。当然看護大学でも女子学生の割合が圧倒的に多く、約100人の同期のうち男子学生はわずか4人。そんな少ない男子学生同士で気が合うかどうかというのは、充実したキャンパスライフを送るうえでとても重要でした。A君は常々、「同期の男にB君がいてくれて良かった」と話しています。

 先日話してくれたのはそんな学生生活の締めくくり、卒業式での出来事でした。その看護大学はミッション系だったので、卒業式は歴史のあるチャペルを会場として、厳か・かつ堅苦しい雰囲気でおこなわれました。A君はその堅苦しさに辟易しつつ、終了後の打ち上げに思いを馳せていました。プログラムが進み、さてあとは卒業生が記念撮影をして終わり、というタイミング。A君は、B君が列を離れて数名の女子学生と話しているのに気付きました。よく見ると女子の一人は泣いていて、何やら口論になっているようです。心配になったA君は、その数人に近づいて話を聞いてみました。すると・・・
 「B君が卒業式用のガウンを(100人のうち1人だけ)着ずにスーツで参加している!」
 「記念撮影をした時にガウンで揃った写真にならない!!」
 とのこと。それでガウンを着た女子学生たちが、スーツ姿のB君を責めたりなじったりしていたのでした。

 この話の前提として、卒業式の服装は原則自由で、ガウンを着るかどうかは卒業生本人に委ねられています。また、ガウンを着るにはレンタル料(数千円:飲み会2~3回分ぐらい)を払う必要がありました。事前におこなわれた説明会でガウンのことを聞いたA君は、B君と「レンタル料、たけーなー」「1回着るだけのガウンにどれだけ払わせるんだよ」と一緒になって文句を言っていたのでした。しかしA君は「毎年、卒業生はガウンを着て式に出る」という話を聞いて、しぶしぶ高額のレンタル料を払い、ガウンを着て式に参加していたのです。しかしB君はレンタルせず、スーツで式に参加。当日、それを見たA君は「あ、スーツでいいならオレもそうすれば良かったー」とB君と話したのでした。

 女子学生とB君との話を聞きながらA君は、女子が言っていることもわからないではないけど、「泣くほどのことかよ・・・」「スーツのヤツもいたなあ、でいいじゃん」と思っていたそうです。しかしそのうち、B君は「もういいや」と言ってプイっと立ち去ってしまいました。A君は「オイオイ」と思いながらも撮影の列に戻る勇気もなく、B君を追い、撮影が終わるまで何を話すでもなく過ごしていたそうです。その時にA君が感じていたことは次の4つでした。
 1、公然とB君を責めた女子たちに対しての怒り、苛立ち
 2、高い金出してガウン借りたけど、記念撮影できなかったなあ・・・と惜しむ気持ち
 3、B君を追いかけたことで結果的に「仲間大事にするキャラアピール」みたいに受け取られていたら嫌だな・・・と不安な気持ち
 4、3みたいに思うのは自意識過剰!と、自分をいさめる気持ち
 これらの気持ちが、グルグル回っていたそうです。

 その人に選択が委ねられているはずなのに、皆と違う選択をすることで責められ、非難されてしまう。少数派への同調圧力が強力に働いていました。卒業式の記念写真に「スーツ男が混じっててもいいよね」「まあB君っぽいよね」とは、ならないのです。翌月から看護師として働こうっていう人たちの集まりで、こういうことが起きてしまいました。きっと、精神科領域の実習のレポートでは「その人の在り様や気持ちに寄り添うことが大事だと思いました」とか、書いていたに違いない人たち。
 「3年間、ともに学んできたB君の在り様や気持ちには、全然寄り添わねーんだよ」「まあ、そんなもんかもしれないよね」と、A君。続けて話します。「でも実はさ、俺もB君の気持ちに寄り添えていたかというと、心許ないよね」「B君と一緒にいる間、1から4をグルグルしていただけだったからなあ」
 A君は苦笑しながらビールをあおるのでした。

 皆と違う選択をすることで、時と場所によっては、責められ、なじられてしまう。僕たちは、そんな「時と場所」があふれている社会に生きています。責められた時の悔しさ、心細さ、理不尽な思い、それらは自分も十分知っている。けれど、今責められている人には寄り添えない。寄り添わない。
 「寄り添う」ことを難しくしているのは何なのでしょう。「圧力」は、どこからかかってくるのでしょう。そんなことを考えさせてくれた、A君の話でした。

増子

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