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集団生活の思い出
投稿日: 2018/10/4
先週末はグループホームを卒業された依存症の方のお話を聞く機会がありました。
なかなか止められなかったお酒を止められたのはグループホームに入ったおかげ。
集団生活をしたおかげと話されていました。ここがなかったら今の自分がなかったとまで言われていました。
そんな話の翌日。
肉じゃがを作って食べていると、とろけた玉ねぎで「お豆腐命」がパッと浮かびました。
かなりこじつけっぽいのですが、それでも集団生活の話を聞いていなければ多分「お豆腐命」は連想しなかったと思うのです(笑)。
私は大学時代陸上競技で砲丸投げとちょっと円盤投げをやっており、その合宿所にて生活をしていました。全ての部員というわけではなく、跳躍ブロック(走り高跳び、走り幅跳び)と投擲ブロック(円盤投げ、砲丸投げ、やり投げ)が入る合宿所でした。
門限21時、消灯22時。毎朝6から朝練習。全員が自転車で通学していました。朝練終わって皆で朝食、合宿所内の掃除を行います。日中は授業と練習。夕飯も食事当番が早めにあがり、食事を作り、終わった人から戻って皆食事。6畳一間の和室に学年の違う二人が入っていました。布団は横並び。総勢で40名弱だったでしょうか。まさに集団生活。
トイレ、お風呂は共同。洗濯機も共同でホワイトボードに名前を書いておくと
「〇〇さん、洗濯機が空きました」と放送が入ります。お風呂では時に先輩の背中を流すこともありました。
食事は学年縦割りの班を3~4名づつ6班か8班作り、毎日順番に班ごとに夕飯と翌朝の食事を作っていきました。7班だと毎週同じ曜日に当たってしまうので、一日ずつ曜日がずれるように工夫されていていました。
朝食を食べ終えると、その日の食事当番が食堂に残り、夕食と翌朝の朝食のメニューを考えます。新聞広告を見て安くなっているものをチェック。
例えば、鮭が安ければ「じゃあ今日は鮭ご飯にしようか」など。
主食、副菜、みそ汁、ご飯。朝も同様にご飯でした。
投擲ブロックと跳躍ブロックだったので、たくさん食べてたくましくなることが求められる投擲と、軽やかに飛ぶ跳躍とではもちろんメニューもご飯の量も違っていました。投擲は一回の食事に一人一合食べるようにと言われていました。20人なら毎回20合研ぐことになっていました。
それでも皆そこまでは食べたくないので先生には黙ってお米の量を減らしていたこともあったのですが、なぜかそれに気づいた先生がこっそりお米を足していた、ということもありました。多いと「今日お米研いだの誰?間違えなかった?ちょっと多くない?」と先輩からの突っ込みがありました。
話しはメニュー決めに戻りますが、
メニューが決まるとじゃんけんをします。
①スーパーに買い物に行く人
②八百屋に買い物に行く人(その八百屋は買えば物は合宿所まで届けてくれたので、そのまま授業に行くことが出来ました)
③米研ぎ
④ノート
一人一役決めます。3人の班は③と④を一人で行いました。
平日は講義数が少ない人が率先して大変なスーパーへの買い物担当になることが多く上級生が多かったように記憶しています。
ノート係りは会計で、その日のメニューを書き、スーパーと八百屋のレシートを預かり、皆から集金したお財布から支払います。そしてその日の買い物の合計金額を食べた人数で割り、夕飯いくら、朝食いくらなどの計算をして次の当番に渡す。
そんな当番でした。
だいたいは上級生が仕切って下級生は千切りや野菜の皮むき、などという幹事だったような。私もこの時一度にたくさんの千切りをしたり野菜の皮むきをしたので、包丁がだいぶ上手く使えるようになりました。
その中で私が好きだったのが、先輩が考えたという「お豆腐命」というメニューです。(ようやくここで「お豆腐命」が出て来ました! )
これは確か、夕飯を作る時に一緒に作っておいて翌朝あたためて出すというもので朝食に出されていたと思います。
「お豆腐命」とは、その命名の通り、お豆腐がメイン。
他にひき肉、ちくわ、しいたけ、玉ねぎ、を入れてお醤油で甘辛く煮、最後に卵でとじたもの。
ご飯が一人一合なので、朝ご飯にかけて食べたこともありました。
食事当番で「お豆腐命にしない?」と出ると嬉しかったのを思い出します。
それで思い出したのが、洗う手間を考えてだったのか、食器を増やしたくなかったのかわかりませんが、そのような汁物のおかずをお皿に盛る時にアルミホイルの四隅を追って箱のようにしてそれを小皿として使い捨てていたことも思い出しました。手が空くと「じゃあホイル作って」と言われてせっせと人数分その小皿を作ります。
他にも好きなメニューがありました、この先輩の作る竜田揚げがおいしい、とか、
あの先輩はいつも魚だなあ、とかいろいろあったなあ…。
集団生活で連想した「お豆腐命」で、いろいろ思い出されましたが(書けばまだまだいろいろあるけど(笑))約30年を経過し、懐かしさがこみあげてきています。
そんなわけで、久しぶりに作ってみました。「お豆腐命」命名も素敵ですよね。
その先輩の笑顔も素敵でした。
美味しかった。
小久保
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