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ご家族からの声

てとてのサービスをご利用いただいた方のご家族より、コメントをお寄せいただきました。

※写真の掲載はご家族の許可を得ておこなっております。

 

担当スタッフより:

私たちが事業所を立ち上げて間もなくの春に退院するに伴って、訪問看護のご依頼がありました。それから3年余り訪問をさせて頂くご縁に恵まれました。

今年の春、ご本人の自覚症状が続き検査を受けたところ悪性の腫瘍があることがわかりました。

ご本人は腫瘍に対しての治療は行わないことを選択されました。

 

「最後まで家で過ごしたい。」

 

お会いした当初から「入院は嫌」というお気持は強く持たれていましたが、

加えて「治療は行わない」と意思表示をされるとは。

 

それでも、出会って3年の月日が経過し、

信頼関係というものを築けていたように感じられておりましたので、

ご本人の選択を「わかりました。何が出来るか、どこまで出来るかわからないですけど、そのように(悪性腫瘍に対する治療は受けずご自宅で)過ごす事を応援させて頂きたいと思います」と素直に受け取ることが出来ました。

 

その前までは、看護師と二人で行く外出などは一緒に行くことが出来ましたが、複数名が参加の法人レクやミーティング(自助グループ)は、興味がありそうながらも断られていました。

命の限りを提示された後は「行ってみようかな」と法人レクにも参加して下さいました。

今年の春のBBQは直前まで悪天候が予想され、延期も検討されましたが、延期した時にご本人が参加できるかわからない、という状況も判断材料に加えてもらって、予定通りに計画。当日雨は降りませんでした。

そのあとの訪問の

「私たちの願いが通じたのかもしれないですね」に

「そうそう、本当に強く願うとなんか叶うんだよね」とさらりと言われたご本人の言葉に、行きたいと思ってくれていたんだと感じられて、とても嬉しかったことが思い出されます。

 

感想を伺うと

屋外だったので開放感があり人が多くても思っていたよりも長くその場にいられたと思う事

スタッフの皆さんが自分が食べないと伝えたことをわかってくれていて、誰もお皿やお箸を手渡さなかったことに配慮を感じたという事

そして

「大勢の人の笑い声がこんなに心地よいっていうことを初めて知った」と話して下さいました。

 

そのようなことや、訪問中の出来事他たくさんの思い出がある中

 

夏が終わる頃 旅立たれました。

 

ご家族の方から何かお礼をと、と言って頂いた時に、

そのように言って頂けるようでしたらば、HPの利用者さんの声というところに何か書いて頂けたらとお願いしました。

私の、私たちの今後の励みになると思うと伝えさせて頂きました。

それにお応え下さりコメントを寄せて下さいました。

それを載せさせて頂きます。ありがとうございました。

 

改めて ご冥福をお祈りいたします。

 

小久保

 


ご家族より: 

最初にリンクさんにお会いしたのは、2014年に妹が長期入院から退院する時でした。それまで何度か入退院を繰り返してましたが、はじめてケースワーカーさんのカウンセリングが入り、訪問看護をお願いすることになりました。当然妹は他人が入ることを嫌がりましたが、退院の条件でもあったので渋々受け入れました。

 

特に身内以上に慕っていたのは看護師の小久保さんでした。心を開くまで時間はかかりましたが、小久保さんは常に妹に寄り添うスタイルを取られ、いつしか小久保さんだったら、小久保さんじゃないとと言うようになりました。

 

 

どうなるか不安でしたが、訪問看護に慣れて来た頃から小久保さんと話したことを楽しそうに教えてくれたようになりました。表情も明るくなり、体重も増えて昔の妹の顔に戻ってきていました。

 

そして、逆に私に対する口に出せなかった思いを小久保さんに吐露するようにもなりました。私は妹を病人扱いし、こちらの期待通りに動かないと入院を脅し文句として言うことを聞かせるようになっていました。妹はそんな私がすごく嫌だったようです。小久保さんにそれを教えてもらわなければ、気づかないまま妹を苦しめていたかもしれません。

大切な家族だから何でもやってあげたいと思うのは当たり前なのですが、やってもらう側の気持ちは意外と考えてません。

 

小久保さんに関わっていただいたことで亡くなるまでの4年近い時間は苦しい中にもたくさんの笑顔を見ることができ、妹と私の関係も穏やかになっていきました。第三者の介入により家族を守ることができたと思っています。

 

 

妹の場合、精神疾患があり、内科との併用ができないとかで何度もリンクさんの利用はできなくなるという場面がありました。その度に妹は小久保さんに来てもらえなくなるなら、内科の看護師はまだいいとギリギリまで我慢しました。小久保さんの方でも、妹に関わる方法を模索してくださり、関係各所と連携して、なんとか最期まで訪問していただくことができました。最期は本人もわからなくなるだろうから看護師が変わってもいいのではと他からの声もありましたが、小久保さんにそばに居ていただけて良かったと思ってます。亡くなる前日にピザパーティーを開いてくださいました。ほとんど水分しか摂れなくなっていましたが、少し食べることができたと聞いた時、小久保さんにしかできないことだったとあらためて感じました。

 

 

最後に、精神疾患だけでなく、それによる内臓疾患も伴い、リンクさんとしてもリスクある妹を引き受けてくださったこと、そして最期まで私たち家族にまで寄り添っていただけたことに深く感謝申し上げます。

 

 

2018年9月


担当スタッフより:

最後の数か月は、往診クリニックの主治医とスタッフの皆さま、身体疾患をメインに関わって下さった訪問看護ステーションさま、ヘルパー事業所さまと関わらせて頂きました。区役所の担当の方も見守って下さいました。往診医を探して下さった通院先のソーシャルワーカーさまも含め、皆様のご理解とご協力があってリンクとわおんが最後までご一緒させて頂くことが出来たと感謝しています。ありがとうございました。

 

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