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言葉について考えてみた

新型コロナウイルス感染症対策でいろいろご不便な思いをされている方がいることに心を痛めており、早くこの状況が解消されることを心から願っております。

私たちも業務の中で手指衛生の実施など感染予防策を取り、媒介者とならぬよう細心の注意を払っていきます。

さてさて、最近ふとした時に「普通」という言葉について考えることがありました。

生活している中でよくつかわれ様々な場面でも聞かれる言葉ですが、使い方によって意味合いが違うような感じがしたんです。

「普通はこんな感じだよ」

「普通にしてなさい」

「普通です」などなど。

当たり障りないけど、なんとなーく引っかかるようなそうじゃないような…

なんとなーくモヤモヤする…

なので少し調べてみました。

まずは辞書によると…

①いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。 「日本に-の鳥」

②ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。 「ごく-の家庭に育つ」 「 -ならもう卒業している」

③特別ではなく、一般的である・こと(さま)。 「 -高校」

(Weblioより)

へぇ~言葉の意味だとこうなるんだ。

うん、まあ何も悪くない。それこそ普通だ。

でも今回のモヤモヤとはちょっと違うような関連しないような感じがするかな。

似たような言葉で「一般的」「標準」「全般」なども調べてみるが、まだピンとこない。う~ん。


早咲きの河津桜でもみて気分転換♪


となると言葉の使い方に何かあるのかな。

そこで「普通 使い方」でネット検索してみると…

出るわ出るわ、多くの検索結果が。

詳しくは検索してみていただければと思いますが、使い方に注意を促す文章が多々見られました。

本来であれば上記のような意味合いを持つ「普通」という言葉が、使われる場面によって違う意味合いがつけられてしまう。

時にそれが人を傷つけることやトラブルの元になることもありうる。

ほぉ~少し整理された気がする。

普段何気なく使われる言葉が、それを使用する者の思惑や使い方によって本来の意味とは違う解釈で表現されてしまうことがある。

それを受け取る人との間で解釈のずれが生じた時、それが先ほど自分が感じたモヤモヤなのかもしれません。

そう考えると面白い。

私が思っている「普通」と相手が思っている「普通」は必ずしもすべてが一致するものではないのかもしれない。

全ての人が共通の認識をもって「普通」を扱っていればそうではないかもしれないが、私の中にもずれを生じさせる観念のようなものだったり状況によって生み出されたりすることもあると思う。

だからこそ違いがある上でお互いが存在していることを受け止め、対話など様々な方法のやり取りなどで理解し合おうと関わろうとするのかな、いやたぶん自分がそうしたいんだろうな。

ちょっと飛躍しすぎかもしれませんが「普通」の一言でこんなことまで考えてしまいました。


こちらはオカメザクラ♪


あぁそういえば「普通」を考え出したきっかけですが…

今年もだいぶ普通をオーバーしとりました…orz


「普通」に頑張ってみたつもりだが今年も「普通」になれなかった渋谷でした。


渋谷

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