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突然の病名告知
投稿日: 2017/08/5
数年前、精神科病棟勤務5年目だった頃。
ある日、夜勤が明けてナースステーションで記録を書いていました。
ああ今日も終わった、長かったなあ・・・なんて思っていたでしょうか。
朝9時半、自分の後ろでは日勤の看護師さんがバタバタと勤務をされているなか、パコパコ電子カルテを打っていたのです。
その時、隣で同じように記録を書いていた当直明けの精神科医が声をかけてきました。
僕と年齢が同じ?やや上?ぐらいの男性の先生で、同じ病棟の病棟医でもあったので、普段からこころやすく話しをしていたのです。
先生「増子さん」
増子「はい」
先生「僕たちみたいなADHDがこの社会で適応するには、一つの方法しかないですねえ」
増子「え・・・(なに?僕・・・たち?僕も?)」
先生「わかります?」
増子「いや・・・なんすかね?(僕・・・たち?僕も?)」
先生「強迫的に確認することですよ、それしかない」
増子「そっか~(僕・・・たち?僕も?)」
突然の告知でした(笑)
ADHD、注意欠如(欠陥)多動性障害
不注意、多動性、衝動性の3つの特徴を持つ
当時、電車で1時間以上かけて通勤していたのですが、帰りには「自分はADHD か・・・」と、突然告知された病名がグルグルまわりました。その混乱のなかで、これまでの人生のなかで苦労してきたことを思い返していました。
自分では普通にふるまっていると思っているのに「短気」と呼ばれて村八分にされた幼少~少年時代、何度もランドセルを忘れて学校に登校した小学生時代、授業中わからない単語が出てくるとロッカーに置いてある広辞苑を開かないと気が済まず、「何お前授業中に歩いてんだ!」と何度も先生に殴られた中学生時代・・・自分のこれまでの苦労を位置づける、新たな座標軸を与えられたような気持ちがしたのでした。
自分の特性がよりクリアにわかった今でも、自分はあい変わらず物事をすぐに忘れてしまうし、物事の優先順位をつけるのが下手ですし、頻繁に物を無くします。物を無くすというか、「この物をどこに置くか」ということに注意を向け続けることが困難なのです。
これまでは「そういう、ダメな奴だなあ・・・」とか「仕事ができない奴だなあ・・・」と自分を否定的に見ていたのですが、そうか自分はそういう生まれつきか、じゃあそれなりに工夫するしかないじゃないか!と前向きに自分を受け止めるようにしています。
わけもわからず、自分のできないことを数えては暗くなる日々。
誰しも、そういう時期があるかもしれません。
でも、その事実をどう受け止めるか、その受け止め方次第で気持ちは変わるんだな、次の行動も変わるんだな。
先生からADHDとはっきりと言われて(時間はかかりましたが)腑に落ちて向き合うことができたというか、一生つき合っていくしかない、これが自分だしなあ、まず自分が受け止めてあげないとなあ、と思いながら毎日を過ごしています。
※あくまでもこれは増子の個人的な経験です。全ての方々が病名を告知されて必ずしも「腑に落ちる」経験をされているわけではありません。かえって、そのことで生活のご苦労が増えてしまうこともよくおうかがいします。「病名」「障害」がその方の人生に大きく影響するので、病名をつける・吟味する立場にある方にはそれなりの覚悟を持っていただきたいというか、安易につけて欲しくないなあと思う今日この頃です。
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